第69章:トランプのアジト
―3001年 4月8日 午前9時37分 下水道―
「くせえ…」
リクヤは鼻をつまんだ。
「でしょ?鼻が急カーブしそうッス!」
クリスは嫌そうな顔でそう言った。確かに嗅覚が麻痺しそうだ。
僕は黙って真っ青な顔のミサにハンカチを与えた。
「う…レッキ、ごべんね。」
ミサはハンカチを口に押さえた。そもそもこういう環境は、ミサにとってかなり酷だと思う。
「…お前は平気なのかよ?」
マシュマがそう聞いてきた。
「僕は幼い頃、故郷を失って下水道で生活したことがあるんですよ。ははっ、ここの方がマシでしょう。僕が生活してたとこなんて…たまに“腐って風船みたいに膨らんだ死体”が上流から流れ―」
「あーハイハイ、わかったわかった。スマンスマン。俺だけに。」
マシュマは目を細めて片手を振った。
「いえいえ…」
本当に、慣れというものは嫌なものである。そうこうしている内に、またリクヤとクリスが騒ぎ出した。
「だあ、畜生、マジでくせえ!!誰かトイレの消臭剤もってねえか?もちろんベタな消臭剤以外のヤツをだ!」
「持ってたらスゴイッスよ。」
そもそも、そんなもんでどうこうできる臭さではない。
「やかましい、いつ敵が襲ってくるかわからんぞ。黙ってろ!」
マシュマが軽く諌めた。
「いいかテメェら、何かを見つけたら俺かリクヤに連絡しろ。くれぐれも戦闘をしようなんて考えんじゃねえぞ。特にレッキ、お前の神技は体力を使うんだ。下手でもすれば寿命を減らす恐れもある。使いすぎも程々にな…」
「…わかってますよ。」
確かに神技は体力を大きく浪費する。寿命が縮まるまではオーバーだろ。
ふと下を見ると、ミサが心配そうに見つめている。小刻みに震えて、お前は小動物か。僕はそう思った。
「無茶…しないでね。」
「大丈夫ですよ…」
いざというときは神解がある。
「あ、みなさん!ここ、ここッス!」
クリスが指さした先には、複数のぶ厚い扉。
「なるほど、ここに、トランプ人間がいたんだな?」
リクヤは拳銃の安全装置を切った。
「ここッス…」
クリスは扉の一つをつついた。
「ここがどうしたと?」
僕の問いにリクヤが代わりにこたえる。
「クリスがトランプ人間を発見した場所だとよ。あ、クリスが発見したのは普通の人間か?」
「なんにせよ普通じゃないッスよ。こんなおっかない組織に入ってるヤツなんて。」
クリスはそう言いながら扉をけり破った。
―午前9時39分 小部屋―
「…誰もいねえじゃねえか。」
リクヤはキョロキョロと辺りを見回していた。
「そ、そんなはずないッスよ!確かにここでした!」
小部屋の中にはチリ一つ落ちてないのだ。
「無機質すぎる…確かに怪しいですよリクヤさん。クリスの見たことも本当だと思います。」
「…そうだな。」
リクヤは僕の言葉に応じるように、小型のサングラスを取り付けた。
「ソレは自分がもらった特殊なサングラス!」
「そうだ。その名も“サーチ・アイ・グラス”非常に悲しいことにプヨンが作ったもんだ。」
「それは悲しいですね。」
「これを使えば、この中の温度を察知することができる。たとえ数十時間前だとしてもな。」
リクヤはサングラスを付けたまま周囲を見回した。
「滑稽だな。マシャマシャ!お前ニワトリみたいだぜ!」
「…黙っててくださいよマシュマさん…」
少し癇に障ったらしい。
「む?」
リクヤが何かを発見した。
「そこ、そこの隅からわずかだが体温を察知した。詳しく調べてみよう。」
リクヤはすぐさま部屋の右角に駆け寄った。
「マシュマさん、リモート爆弾貸してください。」
「おうよ。」
カチャ…リモート爆弾を角っこに取り付けた。
「お前ら離れろ!」
リクヤはすぐに部屋からみんな出るように誘導する。
数メートル離れた下水道にて、一同は身を守る体勢を作っていた。
「ねえねえどうなるの?」
ミサが僕に聞いてきた。
「簡単です。爆発するんですよ。」
僕はそう言うとミサの小さな頭を両腕で抱いた。
「ひゃ。」
ミサは短い声をあげた。
「動くなよ、ミサ。」
なるべく優しくそう言った。その隣では、
「おっと、自分はお邪魔か♪」
クリスが僕達から少し離れてそう言った。何故だ!?
「しっかり身を守ってろよ。凄い威力だかんな?」
リクヤは何度も確認をしてる。
「マシャ!お前も俺の後ろに隠れてろ。」
マシュマは半強制的にリクヤを自分の巨体の後ろに投げ飛ばした。
「しぎゃ!」
―ジャパン!
リクヤは下水にダイブした。
「ひぇ、汚い。」
クリスはひきつった。
「おっしゃあ。俺だけに押すぜ!スイッチオン!」
―カチ♪
マシュマは手元の赤いスイッチを押した。
ボン!
扉から物凄い爆風が噴き出しなすった。
数メートル先の僕達にも、爆風は襲いかかった。熱くはないがすさまじい風だ。
「おおおおおおお♪」
マシュマは興奮に満ちた声をあげた。彼が壁になっているおかげで助かっているのだが…。
「ひゃううう!!ここここ、怖いよぉ!!」
ミサが泣き声をあげた。
「はいはい大丈夫。」
僕はますます強く抱き締めた。
「クリス、キミもこっちへ来い。集まってた方が安心だ。」
「自分はイイッスよ~♪そっちにいる方が火傷するッスもん♪♪」
何故だ!!?
数秒後…
爆風はようやく治まった。
「もう大丈夫ですよ。ミサ。」
抱きしめていた腕を離す。
「う、うん…」
ミサは少し残念そうだ。何故だ!!!?
「フゥ、やっと治まったか。マシャマシャ!はしゃいでしまったぞ!俺だけに!」
マシュマは大笑いをしていた。これが高笑いだったらさすがのリクヤも激怒しただろう。ん?
「そう言えばリクヤはどこに行ったんです?」
まさか…爆風に巻き込まれ…?
「こ、ここだ…」
おや、足元から声。見ると、リクヤが身体の90%を下水に浸水させ、呻いていた。くさい。
「みぎゃあ!」
「びええ!」
ミサとクリスが悲鳴をあげた。くさい。
「…何をしているんですかあなたは。」
くさい。
「い、いやな…さっきマシュマさんに投げ飛ばされた時に下水に飛び込んで気を失っちまったんだ。爆風でますますシェイクされちまって、“下水人間”が誕生しちまった。って寸法だ。」
くさい。
「なんとも同情しがたい展開ですね。」
くさい。
「おうよ、ベタじゃないのが唯一の救いだ。」
くさい。
「マシャ、おいテメェら!ちょっと来てみろよ!」
マシュマが声をあげた。いつのまにかあの小部屋の中に入り込んでいる。
「なんかあったみてえだな。行ってみようぜ!」
リクヤも走り出した。くさい。
―午前9時43分 小部屋―
リクヤが何かを察知した場所からは、黒い煙が立ち昇っていた。
「おほ、結構な火力じゃんか!」
リクヤは笑みを浮かべた。くさい。
「マシャ、お前くさいな!」
マシュマは鼻のあるべき箇所を押さえて飛びのいた。
「…。」
リクヤは白い目でマシュマを睨みつけた。気持ちはわかります。マシュマがアンタを投げ飛ばしたんですよね。くさいけど。
リクヤは後ろを何度も振り返りながら何かをほざきだした。くさい。
「あそこ!やっぱり秘密の通路があったんだな!な!見てみろよ!おい!後ずさりすんなよ!涙が出るだろ!」
くさい。
「中に入ろうぜ、な?な?」
リクヤが懇願の眼差しをしている。くさい。
「わかりましたよ。じゃあ、リクヤさんは一番最後を付いてください。」
くさい。
「おう、それでもいいよ。ごめんなさいねくさくて。」
くさい。
―午前9時45分―
それにしても、リモート爆弾というのは大したものだ。
「うわぁ、隠し扉ですの!」
爆破した場所には大穴が開いていた。とはいえ、人間がしゃがんでやっと入れるくらいの大きさだ。四角形の通路はこりゃまた無機質だった。
「ほぉ…。」
思わず声をあげてしまった僕。
「一番は俺だ。俺だけに。」
マシュマが穴の中に入り込んだ。
「ちょっと、アンタ入れるんで…す……か…あらら…」
…入れるらしい。ぐにゃりと四角形に変形している。
「…。」
青ざめた表情のまま、僕も後に続いた。
「うおおおお、暗闇に包まれた空間!この微妙な狭さ!半端ない緊張感!俺だけに、シークと“極太ミミズ”を倒しに行ったのを思い出すぜぃ!」
ちょっと気になる過去話である。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう。しっかり前の確認してくださいよね。あなたのでがい図体のせいで前がまったくわからない。」
「おうよ、俺だけに任しとけ。」
ちなみに、通路を進んでいる順番は、マシュマ、僕、ミサ、クリス、下水人間あ、じゃなくてリクヤである。くさい。
「くさいッスよリクヤさん。身の程を知ってからこの通路を進んでほしいッスね!」
「やかましい!知っとるわ!」
くさい。
「喋るな!下水が散る!」
いいコンビである。
「真っ暗だね、怖いな。」
ミサが僕の横にすり寄ってきた。あまえてるのか?
「やめなさいて、ただでさえ狭いのに。」
「だってくさいもん。」
「おやおや、それじゃあ仕方ない。」
後ろから、
「そりゃあすみませんねえ!!!」
と、リクヤの怒号が聞こえた。くさい。
「…ん!?」
ピタリ。マシュマがブレーキをかけた。
「むぎゃむぎゅ。」
「みぎゃむぎゅ!」
僕とミサの顔がちょうどマシュマの“おけつ”に衝突した。やわらかいぞ気持ち悪い。
「マシャ、わりいわりい、だがよ、これを見ればお前らも驚くだろうよ。」
マシュマは身体を煎餅のように平べったくした。
「…!!これは!」
「うわあ!」
僕とミサは声をあげた。
―午前9時48分 ???―
青白く光る部屋だ。周囲には太いチューブが何本も絡み合って壁の飾りと化している。机も2、3台あるようだが、ホルマリン容器や何かを書かれた紙の束が山積みされていた。そして、中央には巨大な鉄製の機械。黒いライフルの弾丸のような鉄製の機械の周囲には、複数のガラスの容器がくくりつけあれている。
―ごぼごぼ…
一つ一つの容器からは、白い液体が泡立っている。
―ごぼごぼ…
「これはいったいなんなんでしょう…」
一足先に降り立った僕とミサは、それをまじまじと見まわす。
「さあな、むやみに触らない方がいいヤツだろ。」
リクヤが駆け寄ってきた。くさい。ミサ同様、思わず身をそらす。
「来るな、下水人間。」
くさい。
「お前らも下水に落としてやろうか!?」
リクヤが苛立ちながら叫んだときだった。
ポチ。
マシュマが中央の機械のスイッチを入れた。
「もきゃああああ!何をしてるんスか!」
クリスが悲鳴をあげた。
「え?だって、これがどういう機械かどうか気になるだろ?」
そ、そんな普通な顔で言われましても。
「え?あ、そりゃあまあ、気になっ―いやいやいや!だからって触っちゃダメでしょ!?アンタは幼稚園児か!?」
リクヤが叫んだ。下水が散る散る。くさい。
「びええ、機械が動きだしましたの!」
ミサが怯えながら僕の後ろに隠れた。
「…!!」
マシュマは機械を見上げた。白い液体の泡立ちが激しくなった。みるみるうちに液体の色が赤くなる。それらは蒸気の音と共に機械の内部に流れ出てしまった。
―ウィィィィィン…
機械の中心部が開いた。黒い鉄製の機械の中身もガラス製の容器であった。赤い液体はその容器の中にたまっていく。
容器の中心部では何か妙な肉塊が蠢いていた。
「これは…」
「まさか…」
マシュマとリクヤの予感は当たった。
「…“トランプ人間”製造機!!」
ゴボァババババババババババ!!
肉塊が一瞬で人間大の大きさに成長し、ガラスの容器を叩き始めた。
「うぉわ…俺はなんてものを作っちまったんだ。」
マシュマは青ざめていた。
「まあ、いっか♪」
一瞬で笑顔を浮かべる。
「切り替え早っ!」
リクヤが見事なツッコミを入れる頃には、トランプ人間はほぼ完成していた。スキンヘッドの陰険そうな人相の男だ。
「…“オ父サン”ト呼ンデイイデショウカ…」
スキンヘッドの男はマシュマをにらんだ。
「おう、いいよ♪」
マシュマは親指を立てた。
「お、おい、いいのかよマシュマさん。」
リクヤは蒼白な表情でマシュマを見た。
「いいじゃねえか、いいヤツだったら舎弟にしてやるんだ!俺だけに。」
マシュマはそう言いながらガラスの容器を素手でこじ開けた。
「オ父サーン!」
スキンヘッドはマシュマに抱きついた。
「な、なんだか可愛いかも…」
ミサは薄く笑みを浮かべた。浮かべたのも一瞬だった。
「食イ殺シテイイデスカ?」
スキンヘッドがマシュマの首筋にかみついた。
同じ頃…
―午前9時48分 ???―
鉄錆びの臭いが立ち込める空間。年季のかかったランプが、ジャックに蹴られるアリスを照らしていた。
「アリス…今まで苦痛を与えやがって…」
ジャックは無表情のままアリスの長い髪を引っ張っていた。
「いやああ!痛い!やめてえ!」
「ふん、髪など抜けてもすぐに生えるのだろう?ならばこんな引っ張り方でもいいだろう?」
楽しんでいる。コイツは一人の少女を痛めつけて楽しんでいた。
「やめろ、ジャック」
ネシが一喝した。いつのまにかジャックの背後で笑っていた。
七三分けの茶髪に、紅色のブチのメガネをかけていた。
「ネシ様…」
ジャックはすぐに向き直った。
「アリス“様”は客人ですよ、粗末に扱えと誰が命令しました?」
―ドゴッ!
ジャックが返答をする前にネシは目の前のジャックの頬を殴った。
「食事の用意をしなさい。私はアリス様とお話をしたくて来たわけです。」
「…御意。」
ジャックは口元のインクを拭きとり、部屋から出て行った。
「…さて、アリス様、私の部下がとんだ御無礼を…」
差し伸べた手を、アリスは振り払った。
「おや、嫌われたものです。」
「何故裏切ったのです!?イナバ・ラビクロック!」
「私はネシ・サルマン・ジョーカーです。言いませんでした?」
ネシはそれだけ言うと、アリスを無理やり抱きかかえて部屋から連れ出した。
「や!離してェ!!」
―午前9時53分―
ネシは無機質な通路を歩き続ける。
カンカン…金属の音…。
「離してぇぇ!!」
アリスは何度も叫んでいた。
「…はぁ…仕方がありませんな。」
ネシはすぐ横の壁を触った。
―ヴン!
壁がなくなり、もの凄い風が吹き荒れ始めた。
「ヒィッ!」
「あなたは気を失ったままここまで来たから、ここがどこかもわかるはずがないのです。でもこれで答えはわかったはずだ…。」
ネシは静かにそう言った。空中だったのだ。ネシはなくなった壁の穴からアリスを突き出した。片手だけでアリスのドレスの腰を掴んだだけだ。
「い、いやあああああ!!」
「はは、実に愉快な反応ですね。あなたは『離して』と言いました。だから、私は特別にあなたの願いを聞き入れてあげます。離してさしあげましょう。」
―パッ!
ネシはドレスを離した。アリスを解放したのだ。
「きゃ――――――――――!!!」
アリスは叫びながら落ちて行った。
「…ジャック。」
「御意。」
緑色の閃光がネシの真横をかすめた。瞬時にアリスを抱えたジャックがネシの背後に降り立った。
―ヴン!
同時に壁がふさがる。
「御苦労様です。これでさっきのは無しにして差し上げましょう。」
「…ありがとうございます。では失礼。」
ジャックは礼をすると、
―シュバッ!
一瞬で消え去った。
「さてと…」
アリスはガタガタと震えていた。
「御理解いただけたでしょうか?あなたは客人ですが、私の部下達から見れば、“家畜同然”なのです。だから、私は部下達の平等精神に則り、あなたをいつでも“殺せる”のです。」
「う…う…」
がたがたがたがた…アリスは真っ青な顔で震えていた。
「でも、今は殺しません。あなたは私にとって必要不可欠な“兵器”となるのですから。だから…“あなたは死んではならない人物”なのです。」
震えるアリスの顎を片手でクイと持ち上げるネシ。
「私の計画を聞いていただきたい、アリス様。いえ、アリス・ルワンダァ・トエリア。」
満面の笑みでネシはアリスを睨みつけた。
一方、セントラルにて…
「はーはっはっはっはぁ!!キャプテン・ウェイバーの帰還だから、キャプテン・帰還だな!!」
キャプテン・ウェイバーはセントラルへ戻っていた。
「たわけ!!任務中にセントラルに戻る馬鹿がどこにいるかゴファアアア!!」
プロ指揮官が吐血をしながら走ってきた。
「ただいま!みんなの指揮官、プロ・フェスター!いいか?説明しよう、キャプテン・ウェイバーは道に迷ってしまったのである!」
「さっすがキャプテン!」
赤服三人組がそう言ったら、キャプテン・ウェイバーはどこかしらをむいて高笑いを始めた。
「やれやれ…わかった、私も同行しよう。役に立つのか立たないのかハッキリしてほしいものだ…」
呆れ顔のプロ指揮官の後ろから、ゆっくりと“彼”が歩いてきた。
「おうおうウェイバー、プロのおやっさん、ついでだ。俺も連れてってくれよ。俺の弟子がピンチなんだろ?」
シルクハットを整え、シークは腕を鳴らし始めた。
第70章へ続く